「なぁ、美波ちゃん…俺たち、これでよかったのか…?」
「……今言えるのは、選べる道がそこしかなかった…としか…」
日本時間 1月1日
AM 9:45
ブリティッシュ・エアウェイズ2359便
ドーバー海峡上空
美波と京極は英国へと向かっていた。
ヴェネツィアで帰国の準備を進めている途中で年が明けてしまうというパッとしない年明けを迎えた二人は、嵐のこともあってか気分も全くパッとしていなかった。
「美波ちゃんは、これからどうするんだ?」
本来であればJACKALである京極の帰国先は日本であるはずだった。しかし、どういう訳か、京極もロンドンへ行くと言い出したのだ。
「本部に戻って、山積みの仕事の片付け…かな。京極さんは?」
「俺は…新年らしく、ロンドン観光でもして、老舗のテーラーでトラッドなオーダースーツでも作って帰るかな。」
「そんな無駄遣いしたら、奥さんに怒られますよ?」
美波は少し明るく悪戯な笑みを浮かべ話しているが、京極の目にはカラ元気ということがハッキリと映し出されていた。
「まったくだ。世知辛いねぇ…」
それから一時間後ーー
AM 10:50
イギリス ヒースロー空港
「さてと、私はとりあえずタクシーで本部に戻りますね。京極さんはどうしますか?」
「そうだな…ロンドン市街にでも行ってみるよ。」
「わかりました。じゃあ、気を付けて。」
そう言って美波は大きなキャリーケースをゴロゴロと引きずりながら、大きな空港のロビーを歩いて行った。
ーー嵐ちゃん…
Trururururu…
美波を見送る京極の胸元で携帯が鳴り響く。
「……俺だ。」
"京?大変よ…米国の次の標的が判明したわ。"
電話の相手はJACKAL長官の鴉だった。
「なに…とうとう奴ら動き出しやがったか。…で、日本なのか?」
"いえ…そんな規模の小さいものじゃなかったわ。次の標的はおそらく……ユーラシア大陸、全土よ。"
「ゆ、ユーラシア…ロシアも中国も100ヶ国ほどがターゲットだっていうのか?!そ、そんなデカイ大陸、どうやって…津波か?」
"わからないわ。ただ、南極大陸に大規模な兵器搬入があったそうよ。核も含めてね…"
「やれやれ…次の旅先は南極か…寒いとこは苦手なんだがな…」
"気を付けて。おそらく今回のテロを行った組織の人員の大半が南極に集結しているはずよ。"
「ワシントン条約ももう、ねぇだろうし、土産に皇帝ペンギンでも連れて帰るよ。じゃあな。」
京極は電話を切ると、すぐに携帯の連絡先を開いて美波に電話をかけた。
美波はタクシーに乗り込んだ直後だったようで、少し息が荒れている。おそらく重いキャリーケースをトランクに入れるのに格闘していたのだろう。
先ほど妻でもある鴉長官から聞いた情報の一部始終を美波に説明する。
「今度こそ絶対に止めてみせる…京極さん、私は本部でアレを終えたら、すぐに南極に向かいます!京極さんは先に向かいますか…?」
「いや、単独行動はなるべく避けたほうがいいだろうな。敵もユーラシアを沈める気だ…それ相応の人数で作戦に臨んでいるはず。」
「わかりました。じゃあ、終わったら連絡しますね!」
「ああ、ハーブの入ったアフタヌーンティーでも飲みながら、戦前に気を鎮めておくよ。また後で。」
電話を切って、ジャケットの内胸ポケットに携帯をしまい、歩き出した京極は独り言をボソッと呟いた。
「オーダースーツはまた今度…か。寒冷地仕様のコンプレッションインナーとトレッキングのダウンでも探しに行こうかね…」
PM 1:34
ロンドン ヴォクソール
英国秘密情報部 MI6本部
開発研究室
「ただいま!ドクター!急いでコレ作って!」
「なんだいコレは!?M、アンタまた不気味なもんをご所望だねぇ…」
「いいから!早く!今のうちに金型取っておけば、いつでも作れるでしょ?…フフッ!」
「フフッ!って、アンタ…なんか企んでるんじゃないかい?わかったよ…30分あれば完成してるはずだから、その頃にもう一度おいで。」
「うん!お願いしとくね!」
美波はキャリーケースを研究室に残して、長官室の方へ走っていった。
「パッソ、金型用の樹脂パテを持ってきておくれ!お嬢のおふざけグッズだ、ささっと片付けちまうよ!」
そしてーー長官執務室
「失礼します。M、ただ今戻りました。」
「うむ、ご苦労だったな。その、なんだ…Rの件は…無理をさせたな。」
「いえ、命令は正当なものであり、世界秩序のために国際指名手配犯を暗殺することも私たちの仕事なので。」
「……そう、だな。それで…上手くいきそうなのか…?」
「はい、おそらく。ところで、ロータス長官。もうすでに報告を受けてらっしゃるかもしれませんが…テロ組織が米国の次に標的にした場所…ご存知ですか?」
「うむ…ユーラシア大陸だな。今、別働隊を南極に派遣したところだ。M、イタリアでの騒動でかなり疲れただろう。君は少し休むといい。」
「そんな!ここまで来て休暇だなんて!とても休んでなんていられません!」
「美波の言う通りだ。こんなメインディシュを前にして俺らだけお払い箱なんて、ちょっと納得できねぇな。」
扉を開けて入ってきたのは、嵐だった。
「あ、嵐ちゃん…フフッ…おデコにパテ付いてるよ。」
「っ!?クッソォ!あのババア!勝手に人の顔にパテなんて塗りたくりやがって…」
「R、我々への疑念は晴れたのか?」
「ああ、婆さんから全部聞いたよ。美波、長官…疑って悪かったよ…」
ヴェネツィアのカフェで美波にかかってきたロータスからの電話の内容は、美波が嵐に話したものとは少し異なっていた。
イタリア政府およびローマ教皇庁からテレビ中継、SNS、あらゆるマスコミを駆使して全世界に発表がなされた。
"ローマ教皇ユリウスW世暗殺の容疑で英国秘密情報部 MI6のエージェント、Rを国際指名手配犯と認定する。裁きの余地はない。Rを極刑とし、発見し次第、即刻の抹殺を要請する。尚、罪人Rの首を献上した者には法人、個人問わず報酬として100万ユーロを授ける。"
この発表を受け、ロータスは嵐と美波の二人の身にかなりの危険が迫っていることを知る。
しかし、イタリアと同じ欧州諸国の一国の精鋭部隊のトップの立場として、この発表を無下にする訳にもいかない。
さらにはこれほど大規模な要請ならば、おそらく軌道衛星によるGPSと、Google earthによる監視も始まっていると考えた。そこで二人を守る策としてロータスは、ひとまず美波に嵐を殺そうとするフリをさせ、どんな手を使ってでも嵐を本国に連れ帰ってくるよう指示した。そして、嵐の斬首した頭部のレプリカを作らせることで、イタリア政府、ローマ教皇庁、Google earthの監視の目を全て束の間とはいえ欺くことができると考えた。
その内容を傍受不可能な組織内専用のホットラインで美波に伝えながら、友好国である日本のJACKAL長官である鴉宛にも同じ内容で、信頼のおけるエージェントに美波と同じ演技を行うよう依頼を記載したメールを送っていた。
それらを全て終えた後、ロータスは全エージェントにRの暗殺命令を下したのだった。
もちろん、嵐たちと行動をともにしている美波たちが即座に行動に移すことは分かっていた為、たとえ全エージェントに暗殺命令を下そうとも、美波たちよりも先に別のエージェントが嵐と接触することはあり得ないことを見越してのことだった。
「でも、人の生首を作らせるなんて、長官もなかなかの悪趣味だな。」
「そう言うな…私も咄嗟の判断を迫られ、それしか君を生かす方法が思い付かなかったんだ…許してくれたまえ。だが、教皇暗殺の罪を着せられるなんて、君らしくないな。」
「いや…あれは完全に油断してたっていうか…まさか軟弱そうな神の生まれ変わりとかいうあのヤローが、あんな大胆なことしでかすなんて思わなかったっていうか…面目ない……」
「まぁ、過ぎたことを言っても仕方ない。それより、君たち。本当に南極大陸へ行くのか?」
「いや、むしろ選択肢はそれしかねぇから。ハメられて、このまま黙っていられるかよ!ギッタギタのバッチバチにシメねーと気が晴れねぇよ。」
「あ、嵐ちゃん…言葉遣い…」
美波が気まずそうにロータスのほうを見る。
「い、いや、M…もういい…慣れたから…」
「ま、まぁ、そういうことですよ、長官!そんなワケで俺たち、南極に行かせてもらいますから!」
嵐なりに少し気を使ったのか、勢いはそのままに、たどたどしい言葉でテロリスト殲滅を決意する嵐であった。
その頃、京極はーー
「マクマードパーカー870ドル…か。たしかマクマード基地だったよな…マクマードパーカーっていうぐらいだ、もってこいだろう…」
ロンドン市内のNorth Faceのショップで南極への準備を着々と進めていた。
南極ロス島 マクマード基地
「今、連絡があり、JACKALとMI6が動き出したそうです。」
「やはりな…そう簡単にはいかないか。まぁいい。ミサイルの準備はあとどれくらいだ?」
「あと、5時間弱といったところです。」
マクマード基地の地下では水素爆弾を搭載した最新型ステルスミサイル20基の準備が行われていた。
「フッ…ヤツらが着く頃にはユーラシア大陸は完全に海の底だな。我が神の力、思い知らせてやる。」