Episode ZERO 紅蓮/Crimson Lotus

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チャプター00 受難

- 受難 -



「……安らかに眠れ、友よ。」

 

 

2017年 12月9日 AM 2:10
ニューヨーク セントラルパーク

朝まではふんわりとしていたハニーブラウンの髪も、今では毛先から雫が滴り落ちるほどに潤ってしまっている。深夜のセントラルパークを一人で歩いている私はきっと、この街で今一番不幸に違いない。
家を出る前にちゃんとチェックしたのに、天気予報はちっともアテにならない。こんなときに変な輩に遭遇してしまったら、私はきっと泣いてしまうだろう…恐怖でじゃない、自分の不幸さ加減にだ。
5分…あと5分ガマンすれば、温かい湯船に浸かって、大好きな音楽を聴きながらめいっぱい泣ける。明日は休みだもん…泣いて眼がパンパンに腫れ上がっても、人に会う予定もないし、むしろ誰にも会いたくない。
見えた…やっと家が見えてきた。あと少し…早歩きのせいか、かかとの上が熱い。お気に入りのミュールだったのに…血が付いてないことを祈る。

――ちょ、ちょっと…なに、あれ…。

ようやくこの虚しさから救われる…と思ってたのに、こんな時に限って…やっぱり今日の私はツイてない。 道端で人が倒れている…この大雨だ、酔い潰れて寝ている訳ではなさそう。
どうしよう…見て見ぬふりをして目前に迫った自宅へ帰るか…いや、無理。私にそんな無慈悲なことはできない。仮にもこういう人たちを救う手助けをする仕事に従事している身だ…とりあえず、救急に電話を……ダメだ。 今日、私の身に起きた不幸を誰かに聞いてほしくて、手当たり次第に飲みに行こうと電話をかけまくったんだ…結局、誰も捕まらず、携帯アプリで恋愛シミュレーションのゲームをしながら一人で寂しく飲んでいる最中に電池が尽きたのを忘れていた。
悪いことって、どうしてこんなにも重なるのだろう。もっと分散してくれてもいいじゃない。この倒れている人だって、いつもの私なら段取りよく介抱してあげられたのに…。
でも今は、そうやって腐っている場合じゃない。一刻を争うかもしれない…
とりあえず、近づいて状態を見てみよう。

――ウソでしょ…それにこの人…中国人?!言葉、通じるのかな…。

右側頭部から、大量の出血…脈もだいぶ弱っている…このままじゃ危ない。下手に動かすこともできない…職業病が幸いして、そういった状況判断を瞬時に行って私はただただ必死に声をかけていた。

「意識はありますか?しっかりしてください!レスキューを呼ぶので、ケータイをお借りしますね!」

そう言って倒れている人のポケットを慎重にまさぐる。

「う…だ…だ」

あった!ケータイ!何かつぶやいているけど、今は通報が先決…かまってなどいられない。 ダイヤルしてケータイを耳にあてた時だった…

「ダメだ!病院は!!」

さっきまで虫の息だったのに、急に私に飛びかかってケータイを持つ腕を鷲掴みにされた。 でも、またすぐに意識を失って掴まれていた腕から手がほどけ落ちる。

――病院はダメって…じゃあどうしろっていうのよ!死にたいワケ?もう!!

ワガママすぎる重傷者に苛立ちながらも、ほっとくことができなくて、家に連れ帰ることにした。飛びかかれるぐらいのフィジカルがあるなら、多少動かしても大丈夫だろう…と思ったからだ。

――もう、ほんっとサイアク…。

部屋が二階だったのがまだ救いかもしれない。部屋に戻り死にかけの男をソファに寝かせ、とりあえず止血。お気に入りだったディオールのロングコートも血まみれだわ、見ず知らずの死人みたいな男を部屋に連れ込む羽目になるわで、これ以上落ちることはないくらい運気は底辺だ。今すぐお風呂に入って、今日の不運を全て洗い流したいところだけど、まだできない…。
あの出血量からして、きっと撃たれたに違いない。転んで切ったキズの比じゃないのは、さすがの私でも解る。 ……となると、傷口の縫合が最優先…でも、これはさすがに私じゃ無理だ。

「もしもし?こんな時間にごめんね。救急なの…でも、ちょっと複雑な患者で…悪いんだけど、今すぐウチに来てほしいの。事情は来てから話すから。うん、お願い。」

皮肉なもので、誘いに誘いまくても誰も捕まらなかったというのに、電池切れで声をかけられていなかった職場の同僚はこんなにも早く捕まった。
とりあえず、オペのできる医師が非番だったおかげで、ソファに横たわっている死人も死なずに済みそうだ。 ここに来るまでには、まだ時間がかかる…とにかく止血だけでもしておこう。

15分後――

「全くなんなのよ、こんな時間に…どうして病院がダメなワケ?」

同じ病院の同僚で友人でもある医師、アンジェラは玄関に着くなり、私に不満をぶちまけた。私だって、今日は散々だった…その一日の最後がこれだもん。嘆きたいのは、むしろ私の方だ。

「ごめんね…私もよくわかんないんだけど…とにかくヤバそうだったの。見たところ銃弾が右こめかみを擦ったみたいな外傷で、そこから大量に出血してるの。」

「…全くもう!まぁいいわ、とりあえず、状態を見てみ……って、え!?リサ、患者って、まさか…この韓国人?!」

「……うん。でも、あたしは中国人だと思うんだけど。」

「どっちも一緒じゃない。ま、とりあえず、裁縫道具とライターとワインを用意して。早速取りかかるわよ。」

ワインを男の頭部に撒き散らし、ライターで炙った裁縫針で、まるで裂けた生地と生地を縫い合わせるかのような手捌きで、パックリと開いた傷口を縫合している。麻酔がなかったから、意識を失くしているのは幸いだったかもしれない。

「ひとまず応急処置は済ませたわ。この人、たぶん軍人か何かね…しかも凄腕だと思う。傷を見る限り、至近距離から頭部に銃弾を受けたような傷だもの。で、被弾するのを避けようとして、避けきれずに擦ったような感じかな。至近距離の銃弾避けるとか、常人じゃないわよね。」

「そうなんだ…。」

そういえば、瀕死の状態だったのに、救急に電話しようとしただけで急に飛び掛かって止められたし…瞬間的な力だったにしても、たしかに普通の人の体力じゃない。

「ただ、少し気にかかるのが、後頭部に大きな腫れがあったの…倒れた時に縁石か何かで強くぶつけたのかもしれない。その衝撃で脳や記憶に異常がなければいいのだけれど。」

どうしてこんなことに巻き込まれたんだろう…もし、この人がもう意識を取り戻さなかったら、私はどうするんだろう…助けることに必死すぎて後のことを何も考えてなかった。

「…って、リサ?聞いてる?」

「え、ああ、うん…とりあえず、本当にありがとう。あーもう、ホント今日は最悪だったの。アンジーが来てくれてよかった。」

「どうしたっていうのよ…今、気づいたけど、アンタ、顔ドロドロじゃない。何があったの?」

そうだった…死人男のせいで忘れていたけど、雨にズブ濡れでメイクも崩れまくっていて、私も死人とそう変わりないほどに荒れていたんだった。とはいえ、ようやく孤独から解放された安堵感で、急に目頭が熱くなってきた。

「話せば長くなるけど…聞いてくれる?」

「ちょ、ちょっと!どうしたっていうのよ…らしくないじゃない。仕方ないわね…朝まで付き合うから話してごらん。」

アンジーの優しさに甘え、私は今日我が身に降りかかった不幸な身の上話を涙ながらに語った。

「……ウソでしょ?…リサ、それホントなの…?」

「……うん。」

「信じられない!アイツ、明日私がひっぱたいてやる!」

「やめてよ!…お願いだから…そんなことされたら、私、余計惨めだもん…。」

そう…私は今日、フラれた。
それは、彼氏にフラれたんじゃない…婚約者にフラれたのだ。
破談…って言ったら大袈裟だけど、ほぼそれに等しい。幸せを目前にして降りかかってきた火の粉は、何も残すことなく全てを燃やし尽くした。残ったとするなら、それは男性への不信感や、当分は癒えることのない心の爪痕だけだろう。

「まったく…男っていうのはどうしてこうなんだろうね。リサみたいなイイ女を捕まえておきながら、まだ物足りないっていうのかね…。」

「もういいよ…私にも何か問題があったのかもしれないし…。」

「自分にも非があったかも…って、アンタって本当に優等生だねぇ。私だったら相手のこと刺し殺しかねないわよ。」

本当は全然よくなんかなかった。
私だって刺し殺してやりたいぐらい悲しみのダメージを負っている。でも、勝手なもので、ずっと誰かに聞いてほしかったのにも関わらず、いざ誰かに聞いてもらうと今度はそのことに触れてほしくなくなる…私だけなのかな。
とにかくこの話題はもう終いにしてほしかっただけ。

「そういえば、アンジーは最近どうなの?ボブと上手くいってるの?」

「え?ああ、アイツとは相変わらずだよ。暴言のキャッチボールが私達のコミュニケーション方法だからさ、仲がいいのか悪いのか…。」

そんな他愛もないガールズトークで私達の夜は更けていった。
おかげでだいぶ気をまぎらわせることができたと思う。引き連れて帰ってきた死人みたいな男の人のこともすっかり忘れていたぐらい…。

 

AM 8:39

「ぶはっ!」

死ぬかと思った…クッションに顔を埋めて寝ていたみたい。窓の外は気持ちいいぐらいに晴れ渡っており、いつもなら眺めてるだけでテンションが上がる突き抜けるような蒼天の空も、今日は頭痛を起こす原因でしかなかった。

――あ゛ぁ〜二日酔いだ〜やっちゃったよ…化粧も落としてないし…

テーブルの上を見ると、アンジーの書き置きがあった。

“早く元気出しなよ!”

アンジーらしいサバサバとした字体のメッセージだ。
メモを横目に洗面台へとやってきて、ますますテンションが下がった。アンジーに昨日“ドロドロ”とは指摘されていたけれど、まさかここまでとは思っていなかった…マスカラやアイラインが溶けてぐちゃぐちゃになっている…目の回りが真っ黒で、まるで可哀想なパンダだ…。
結局、昨日はお風呂にも入ることができなかった。
とりあえず、お風呂に入って化粧を落とそう…。
今日は出掛ける予定もないことだし、一人でのんびり過ごすとしよう。

――明日からまた仕事かぁ…あの人に会わなきゃいいけど。

まだ気分は冴えないけど、体と顔は生まれ変わったようにスッキリとした。
私はもう独り身だもん…昼から迎え酒して干物みたいにゴロゴロする贅沢な過ごし方だってできる…それに、お風呂上がりにビールはセットだもの。
バスローブ姿のまま冷蔵庫から冷えたビールとチーズを取り出し、プシッと一口だけフライングしてからリビングに向かった。

「きゃあっ!!」

すっかりリラックスしていたせいで、あまりにも驚いてしまい、ビールとチーズを豪快に床に零してしまった。

――サイアク。忘れてた…

まだところどころ血の付いた姿…私のお気に入りの場所で死んだように眠る見ず知らずの男。
そのことを完全に忘れてたのだ…ソファでくつろごうと思ったら、血塗れの他人が寝てる…そりゃあ驚くのも無理はないでしょ?
ひとまず床を掃除して、もう一度冷蔵庫から冷えたビールを持ってきた。ソファの脇の床に腰を下ろし、男を眺めていると、あることに気が付いた。

――昨日はバタバタしてて気付かなかったけど、この人、よく見るとすごく綺麗な顔をしてる…。

そういえば、どうして撃たれたんだろう。まさか…犯罪者とかじゃないよね…。
しまった…そこまで考えてなかった。撃たれるなんて、何かそれなりの理由があるはず。どうしよう…もしそうだとしたら、起きたら殺されるかもしれない。
そうだ!財布か何かに身分証があるはず…それを見れば、この男の正体が解るはず…。
意を決して、男のジャケットの内胸のポケットに手を伸ばす。起きたらどうしよう…という緊張感と、はたまた無抵抗の人間の懐を探っているうしろめたさで、なんとも言えない気分だった。

――ない…か。

ここまできたら、もうやれるとこまでやってやる。眠りは深そう…そうそうのことでは起きないと思ったので、今度はさっきよりも大胆にジーンズのポケットに手を突っ込んだ。

――やっぱりない…どうしてだろう。

もしかすると、この人、強盗に遭ったのかな…そして、抵抗して撃たれた…とか?
もしそうだとしたら、犯罪者の可能性は薄くなるから、私としてはありがたいんだけど。でも、この人にとっては全然よくないか。結局、この人の正体は解らなかった。
まぁ、怪我人だし、いくら犯罪者でも助けてもらったんだから、いきなりは襲ってはこないか…と勝手な理由づけで自分を落ち着かせる。
変な緊張感から解放されて、ビール片手に大きく息を漏らしたその時だった…

「……アンタ、誰だ…?」

男が朦朧とした様子でこちらを見ながら訊ねてきた。

――えっ、ウソ?! お、起きた…!?

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