Episode ZERO 紅蓮/Crimson Lotus

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チャプター03 疑心

- 疑心 -



あの夜のおぞましい出来事から4日が過ぎた。
後から聞いた話だけど、FBIの捜査官ニコラスの遺体は、京極が深夜にハドソン川の河川敷に埋めに行ったみたい。

FBI捜査官が行方不明になっているというのに、テレビや新聞のニュースでは一切そんな話題は出てこない。
やっぱり連邦議会の娘さんを殺害した犯人探しという捜査は極秘裏に進められているのかもしれない。
とはいえ、この界隈での聞き込みでニコラス捜査官の行方が分からなくなったということなんて、FBIの捜査なら簡単に割り出せそうなものなのに、あの夜以降、誰もこの部屋を訪ねてくる気配がない…。

京極は京極で、勝手に体が動いたというのが自身でも理解できないみたいで、深く落ち込んでる。記憶を失くす前の自分は、とても危険な人物だったのかもしれない…いつ何どき私を傷付けてしまうかもしれない…と、自問自答しているようで、普段は自然に振る舞っているけれど、あえて私との距離を少し置いているような気がする。

そんなギクシャクした関係に内心、傷付いていた私を更なる悲しみが襲った。
この日、日勤だった私はここ最近の精神的な疲れからか、珍しく寝坊をしてしまい、化粧もほどほどに慌ててナースステーションへと駆け込んだ。

京極を救ってくれた友人の医師、アンジェラが…昨夜、暴行された上、舌を切られて殺害されたという訃報が、タイムカードを切った直後に私の耳に飛び込んできた。

――そ、そんな…舌を切られて…それって……

FBI捜査官のニコラスが話していた、エドワーズ議長の娘マリアさんが殺害された手口と全く同じ…タイムリーすぎるタイミングと、親友を失くした悲しみから私は京極に抱いていた想いも忘れてしまいそうなぐらい自分を見失いかけた。

――ダメだ…今日はまったく仕事が手につかない。もう、私はどうすれば……

昔はどうであれ、今の京極がそんなことをするはずがない。
私は何度も頭の中でそう言い聞かせた。
でも、頭の中で京極がアンジーを殺す瞬間のイメージ映像が流れてしまう…その映像を消すことができない。
その映像のせいで4回もトイレに駆け込み、激しく嗚咽した。
その様子を見るに見かねたのか、婦長に呼び止められた。

「リサ?どうしたの?アンジーのことは本当に残念だけど…それにしても、貴女らしくないわね。酷なことを言うようだけど、貴女のミスで患者さんにもしものことがあったら困るの…今日はもう、帰りなさい。気を付けてね」

「す、すみません…。お疲れ様でした…」

いつもの私だったら、そんな申し出も断って退勤の時間まできっちり仕事を全うしたと思う…いや、それ以前にいつもの私なら、そんなことを言われるような勤務態度ではないし、言われたこともない。婦長からこんな配慮があったこと自体、私の中では異例中の異例だった。
でも、今日はもう、さすがに精神的にも限界だった…反抗することもなく、素直に帰路の途に就いた。

 

「ただいま……京極?」

部屋を見回すが、京極の姿はなかった。
まさか…不安定な情緒に更なる拍車がかかる。
見捨てられた…?もしかして…出て行ったの?
いや、FBI捜査官を殺した時から実は記憶が戻っていて、昨夜から再び快楽殺人に手を染め始めたとか…。
私は馬鹿だ…あのとき、私が京極を助けさえしなければ……アンジーは今も…いや、京極のはずがない。今の京極は非の打ち所がないくらいに紳士で私を大切にしてくれてる。
でも、それも演技だったら……

悪いことばかりが頭の中を巡る…悪循環って、本当にタチが悪い。
もはや立っていることすらできず、その場でへたり込み、ソファーに顔を埋めて瞳を閉じた。

 

 

ジリリリリリ──

部屋の呼鈴が鳴り響く。

こんな昼下がりに誰だろう。京極は合鍵を持っているはずだし…。
私はソファーから顔を上げ、インターホンを取った。

返事がない…。

──え、ウソ。誰もいない?

でも、たしかに部屋の呼鈴は鳴っていた。悪戯か何かだろうか。
少し気になったので、扉を開けて辺りを見回してみた。
やっぱり誰もいない…。
疲れてるせいなのか、幻聴でも聞えたのだろうか。
扉を閉めようとしたその時……

「ハーイ!リサ!!驚いたでしょ?」

「ノゥ!!…って、ア、アンジー?え?ど、どうして…?」

閉めようとした扉のすき間から現れたのは、アンジーだった。

「ん?リサ、あなたこそどうしたの?あ、オートロックのこと?」

どうしたのって…オートロックをどうやって通過できたか?
いや、むしろ、そんなことはどうでもいい。
これはどういうこと?
どうしてアンジーが?
そんな混乱が更にややこしくなった。

「リサ、すまない。アンジーを入れたのは俺なんだ」

扉の向こう側からアンジーに続いて現れたのは京極だった。

「京極…が?え、わからない…ちょっと待って。頭を整理させて…」

「ごめんごめん、リサ。ここじゃなんだから、とにかく奥で話しましょ?」

アンジーは昨日、殺されたんじゃ…?
しかも、記憶を失くす前の京極かもしれない犯人と同じやり口で。
京極じゃないとしても、どうして二人が一緒にいるの?
もしかして、ドッキリ?
もしそうだとしたら、こんな笑えないドッキリ、本当にごめんだわ。

「ねぇ、アンジー?あなた、昨日殺されたのよね…?」

「……え?ハ、アハハ!!何言ってるのよ、リサ?私ここにいるわよね?殺されてたら、ここにはいないでしょ?それともゾンビか何かって言いたいワケ?」

「リサ、どうしたんだよ?君がそんなジョーク言うなんて珍しいな」

ジョークなんかじゃない…でも、この反応、まるで昨日の事件なんて起きてないような口ぶり。
やっぱり病院のみんなが私にタチの悪いドッキリを仕掛けたっていうの?

「ご、ごめん、私どうかしてるわね…なんでもない。気にしないで。それにしても、どうして二人一緒だったの?」

「え…あ、ああ…そのことなんだが…リサ、実は俺たち…」

京極が話している途中でアンジーが人差し指で京極の言葉を遮った。

「待って、キョーゴク。そのことは私から話すわ」

この流れってもしかして…イヤな予感がする。

「実は私達、付き合い始めたの。もっと早くにリサに報告しようと思ってたんだけど…」

「そ、そんな…だって、京極はずっと私と……」

「リサ、本当にすまない。一緒に住んでいただけに、なかなか話しだせなくて…」

もう訳がわからない…死んだと聞かされていたアンジーは生きていて、愛し合ってると思っていた京極はそのアンジーと結ばれてたなんて…。
こんな酷い裏切りがあるだろうか…私はこんなに苦しんでたっていうのに…。
あまりの辛さに意識が朦朧としてきた……。

 

 

 

「……サ?……リサ?!」

肩を揺す振られて気が付いた。
まだ朦朧としていたから、何も違和感を感じることなく振り返ると、京極が心配そうに私の肩に手を掛け、見つめていた。

「……京極?…アンジーは?」

「何を言ってるんだ、リサ?大丈夫か?今日はやけに早く終わったんだな…何かあったのか?」

さっきのは……夢?
なんて意地悪な夢…でも、夢で本当によかった。
だって、京極の言葉はいつものように優しくて、穏やかだったから。
よかった…まだ、私の知っている京極だ。

「う、ううん…大丈夫。ちょっと勤務中にね…目眩がしたから、早めに帰らせてもらったの。京極は…あの…その、どこか行ってたの?」

「俺か?俺はいつものように散歩に出掛けてた…何か記憶を取り戻せそうな手がかりがないかと思ってな」

散歩?そっか…やっぱり今日の私は冷静さを欠いている。散歩を奨めたのは他でもない、私だった。
外に出て、少しでも脳に刺激を与えれば、失くした記憶を取り戻すキッカケになるかもしれないと、私が提案したんだ。

「京極…あのね…正当防衛とはいえ、FBIの捜査官を殺してしまった訳だし、今しばらくは外に出ないほうが……京極にもしものことがあったら私…」

私はイヤな女だ…自己嫌悪するぐらい自分でもそう思った。京極のことを思っているような言い方をして……本当は自分が大切で自分を守るためだけの言葉なのに。

「そうか…そうだな。たしかに軽率だった。すまない。来週ぐらいまでは外出を控えるよ」

それでも京極はこうやって私を甘やかしてくれる。その優しさが尚のこと自分をおとしめ、惨めな気持ちにさせた。

その日の夜、私はアンジーが殺されたこと、変な夢を見たことを京極に話した。
アンジーの話を聞いて、京極は悔しそうにしていた。
まるで自分が犯人ではないかのように。
私は京極のその反応を、半ば信じ切れずにいた。

 

翌日──

まだ気持ちの整理ができない…婦長に無理を言って今日も仕事を休ませてもらった。
親友の尊い命を奪ったのが、一番傍にいると思っていた愛する人なのかもしれないと思うと、どうしていいか解らない。
テーブルで温かい日射しを浴びながら、私はただひたすら雪が降りしきる外を眺めていた。

そんな私の様子を見かねたのか、京極は黙ってそっと寄り添ってくれる。
でも、今私の隣にいる男が殺人鬼だったらと思うと…素直に身を委ねられなかった。決して怖い訳じゃない。むしろ愛してる…ただ、アンジーに申し訳が立たなくて。

「昨日、実は散歩している時に、俺の昔の友人と名乗るヤツに声を掛けられた。」

「え?!そ、そうなの…じゃあ、何か自分に関すること、わかったの…?」

「いや、ただ…そいつはどうやら昔の俺のことを慕っていたような感じのヤツで、記憶がないことを話したら、これを飲んだらきっと元気になってすぐに昔のことも思い出すって言って、こんなものをくれたんだ。」

「……錠剤?これって、本当に大丈夫なの…?まだ飲んでないよね?」

京極の過去が殺人鬼だったとしたら、昔つるんでた仲間なんてきっとロクな人はいないはず。だから、この錠剤が“ドラッグ”であるような予感がした。

「ああ、元気が出るなら、まずはリサに飲ませてやろうと思って、薬は飲まずに取っておいたんだ」

私に……?そんなに私のことを気遣ってくれるなんて。どうして人生って、こうも皮肉なものなんだろう。京極のそんな優しさに付け入るなんて…。
どうしてこんなに真面目に生きているのに、神様は私達をこうも災禍へと巻き込んでいこうとするのだろう。

「京極…ごめんなさい。気持ちはすごく嬉しいのだけど、きっとそれは飲んじゃいけない薬のような気がするの。」

「……何故?リサは俺の友人がどんな奴かなんて知らないだろ?どうしてそんなに怪しむんだ?」

「そ、それは……友人かどうかも分からない訳だし、むやみに見ず知らずの人間を信用するのが不安というか…それに、私は看護師だもん。薬の知識だって、多少はあるから…」

「……リサ、本当にそうなのか?お願いだ、本当のことを教えてくれ。俺の過去を何か知ってるんじゃないのか?こないだの捜査官に何か聞かされたんじゃないのか?」

「そ、それは……」

私は本当に馬鹿だ…京極を過去から守るつもりが、結果的に京極の過去を否定的に捉えてしまっていたせいで、怪しまれ信用を失くすようなことになってしまった。
このままじゃ黙っていたことを京極は怒って、きっとここから出ていってしまう…いや、最悪の場合、京極は警察に自白しに行くかもしれない。

でも、私はどうすれば……

もう辛いのはイヤ…
独りになりたくない…
楽になりたい…
過去も未来も気にしないで、今この瞬間、瞬間を私はただ、京極と共にいたい。
京極がずっと傍にいてくれればそれでいい…

――もう、こうするしか……

私は京極の手から錠剤の入った瓶を奪い取った。

「今からあなたの過去とこの薬の効果を教えてあげる…」

瓶のフタを勢いよく開け、私は口に入る限りの錠剤を含み、テーブルの上に置いていた水で錠剤を一気に胃に流し込んだ。

「リ、リサ…何を……?」

京極は私の突拍子もない行動に唖然としている。
でも、きっと数分もしない内に私の精神は壊れる…それを見れば、京極も私が言いたかったことを理解してくれるかもしれない。
そして、もう私は“普通”には戻れない。そんな私を見れば、京極も責任を感じるだろうし、ずっと私の傍に居てくれるはず。
段々と身体の奥から疼くような渇きと、理由もなく欠き立てられるような焦燥感が脳と体を支配し始める。

焦点が定まらない……
それなのに、こんなに開放的な気分は初めてかもしれない。
寒くもないのに震えが止まらない。
呼吸をするだけで全身に電流が走るような感覚に襲われ、調律を失ったピアノみたいに息が乱れていく…
さようなら、今までの私――

「フ、フフ…人生で今が一番サイコーの気分だわ!!」

「リサ…こ、この薬の影響なのか……?」

目の前のリサが見る見る内に、壊れていくのがわかった……涙を流しながら恍惚の表情を色濃く浮かべて高笑いしている。
リサのあまりに不安定な情緒に、俺はただ呆然とリサを見つめることしかできなかった。

「京極ぅ…アンタがアンジーをファックして殺したんでしょおぉ?アンタはの本性はねぇ、殺人鬼なのよ!!この人でなし!!」

「……俺が…殺人鬼…?何を…いや、そうだとしても、アンジーは俺じゃない!俺を助けてくれた恩人にそんなことする訳がない…本当だ。信じてくれ!」

身に覚えのない罪と、知るべきではなかった“殺人鬼”という過去…背負うにはあまりにも重すぎる十字架だ。
全身から血の気が引いていくのがわかった。俺はどうすればいい…。

「フ、フフ…恩人をファックして舌を噛みきって、さぞかし楽しんだんでしょうね。私のこともそうやって殺すんでしょ。ほら、早くやりなさいよ!さあ!」

リサの壊れ様は尋常ではなかった。罵声を浴びせたかと思えば、涙目で笑い、照明スタンドをなぎ倒して暴れ、しばらく訳のわからない言葉を叫んでいたが、ふと何か思い立ったかのように窓際に走り出した。
嫌な予感がした俺は、慌ててリサを後ろから羽交い締めにした。

「何するのよ!?放して!アンタに殺される前に、私はここから飛んで逃げるのよ!私は空も飛べるんだから!!」

「何言ってるんだ…君は飛べない!いくら2階とはいえ、今の君がそんなことしたら大怪我をするに決まってる!お願いだ、少し落ち着いてくれ!」

しかし、リサは落ち着くどころか、ますます興奮状態になっているように見えた。このまま放っておけば、リサは必ず飛び降りてしまう…それだけは避けなければ。
そう思った時には、すでに俺の体は動いていた。

羽交い締めにしていた腕に力を込めて一気に筋肉で膨張させ、急所の一つである脇腹を突発的に締め付け、動きを完全に止めた。

「リサ、すまない…今はこうするしか……」

リサは気を失って、俺の腕の中で項垂れていた。
目が覚めたら、少しは正気に戻っているといいが…。
俺の友人を名乗ってヤクを渡してきた男をすぐにでも問い詰めに行きたかったが、今、リサの傍を放れて、俺の不在の間に目を覚ますと心配だ。
何をするかわからない…とにかく今はリサの回復をただひたすら待つことにした。

このとき、俺はある決意を胸に誓った――

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