PM 6:21
神奈川県横浜市中区桜木町近辺
――あ〜ケツ痛ぇ…。
結局、サービスエリアで給油したり、メシ休憩をとったりしていたら、合計8時間ほどかかってしまった。静岡を越えた辺りで気が付いたのだが、俺は今日、どこに泊まるんだ…?何も考えてなかった。京極は、俺が寝てる間にちゃっかりホテルの予約を済ませてやがったし…。ソファーで寝るにしても…いやいや、京極と同じ部屋なんてこっちから願い下げだ。
仕方がない…どこかのカプセルホテルでも探すとするか…市街地だし、それなりに何かあるだろう。
「京極…俺、そろそろ降りるわ。もうここからは別行動だからな。まぁ、束の間のシャバ生活…俺がテロ組織をツブしてる間、ゆっくり観光でも楽しんでくれ。じゃあな。」
「……ああ、わかった。健闘を祈っておいてやるよ。」
俺は車を降り、大きく伸びをする。こんなに長時間座りっぱなしなんて、渡米した時の飛行機以来かもしれない…。京極はそのまま、スカンクの屁のようなエギゾーストノートを噴かして、走り去っていった。
――さぁて、ケータイでホテル検索でもすっかな…。
――んん…。
目を開くと、自分の体が硬いベッドの上に横たわっていることに気付いた。
――ここは……病院…?
辺りを見回したところ、誰もいない…病室ではなく、簡易な処置を済ませた患者を寝かせておく処置室のようなところだった。
「あのぉ…すいませーん?」
どうして私はこんなところで寝てたんだろう。酔い潰れて何かやらかしたっけ…あぁ、思い出せない…。
「あ!お気付きになられましたか。」
かわいらしい感じの看護士さんがトコトコ走って来てくれた。
「あのぉ…すいません。私…なんでこんなところにいるんでしょうか…?」
「……え?」
ちょ、ちょっと…そんな可哀想なものを見るような目でこっち見ないでよ…。視線が突き刺さってるってば!
「い、いや、あの!えーっと…なんていうか、ちょっとした記憶障害…みたいな感じなのかなぁ…なんて…アハハ…。」
「…だ、大丈夫ですか?先生のお話では、頭部はそんなに強く打ってなさそうって仰ってらしたのに…。ご自身のお名前、わかりますか?」
ちょ、ちょっとぉ!バカにしないでよ…そこまでボケってないってば。
「えっと、美波です…美波泉莉。」
「あぁ、よかったぁ…わかるんですね?じゃあ…」
「ちょ、ストップ、ストップ!あの…私、どっかケガしたんですかね?」
「何言ってるんですか!つい1時間ほど前に、銀座のビルが大爆発したじゃないですか…そのビルの前で倒れてらっしゃったんですよ?!覚えてないんですか?!」
――っ!?
そうだ…そうだった。本部が爆破テロを受けたからってことで
『今から緊急の作戦会議なんだ…今日のところは暗殺者以外、全員、退社願おうか。』
なんて樟葉さんに言われて、追い出されたんだっけ…。あまりに急だったから、ちょっとムカついてエントランス前でブーブー言ってたら… そう、ものすごい勢いで爆発した。そこから先は覚えてないけど、きっとその時の爆風に飛ばされたんだ…私。
「お、思い出しました…すみません、お騒がせしました。あの、もう一つ…その爆発で…助かった人間は……」
しばらく押し黙った後、看護士さんは静かにかぶりを横に振った。
――こうしちゃいられない…アレが無事だといいんだけど。
「お世話になりました。私、もう大丈夫なんで帰りますね!」
ベッドから脚を下ろし、バッグとストールを掴んで走り出した。
もちろん、ちゃんとお会計は済ませて出てきたから問題ナシ。
PM 9:41
――東大医科学研附属病院…白金?けっこう遠くまで運ばれて来たんだ…。ここからだと、タクシーの方が早いかな。
私は病院前に停車していたタクシーを捕まえて、銀座にあるJACKAL関東支部…通称“SECOND(Special Eastern CONcerted Division)”に向かうことにした…跡地になってなければいいのだけど。
――あーダメだ。今日はなんて日だっ!ツイてねぇよ、ったく。
コンビニの外の灰皿を前に、ため息混じりの紫煙を吐き出す。
カプセルホテルが見つからない。いや、正確にはケータイでブラウザに繋いだ瞬間、電池がなくなった…昨晩、充電するの忘れてたからだ。やむを得なく歩き回って探し回ったが、平日…しかも週始めの月曜だというのに、空き室がない…この混み様、意味がわからない。こう見えても一応、俺も国家公務員のはしくれ…さすがに駅前で野宿という訳にもいかない…いや、したくないだけだけど。
――そうだ、ちょっと遠いがSECONDに行って泊まらせてもらうか!本部にはあったし、支部とはいえ仮眠室ぐらいあるだろ…よし、決まり!
煙草を灰皿に放り込んで、立ち止まる…TRAIN or TAXI ?
――ん〜今月あと半月もあるのか…厳しいなぁ…電車にしとくか…。
京急線の横浜駅を目指して、俺は重い足取りで歩き出した。
「京極…様ですね。お待ち致しておりました。チェックアウトは明朝の10時となっております。朝食はレストランスペースにて午前7時よりビュッフェをご用意致しておりますので、よろしければ是非。それでは、1012号室になります。ごゆっくりどうぞ。」
「ああ、ありがとう。あ、ところで君…この後、このホテルの32階にあるスカイラウンジを“案内”してくれないか…?」
「……え、あ、いや、あの…はい…それでは23時頃に…。」
夜会巻きで好感の持てる身だしなみ…さらに女優のような整った顔立ちのフロントにいた女は、はにかみながら答えた。
「フッ…ああ、待ってるよ。それじゃ、また後で。」
いい意味でのレトロな、欧州のホテルにあるような洒落たシャッター式のエレベーターに乗り込み、10階を目指す。
扉を開けて出て、長い絨毯張りの廊下を進んでゆく…部屋の前で立ち止まり、カードキーを使って解錠する。そこそこ広い部屋だ…まぁ、及第点といったところか。カードを壁に備え付けられたフォルダーに入れ、ベットに腰を下ろす。
「……ケツが…痛い…。」
やっと落ち着いて座ることができた。さすがの俺も朝から8時間の運転には参った。軽く4回は意識が飛びそうになったな。後でさっきのフロントにいた美女に腰“も”マッサージしてもらうとするか。
そんなことはさておき…嵐のヤツ、明日からどうするつもりなのだろうか。中国系のテロ組織…そもそも、JACKAL本部の爆破は、本当にその中国系テロ組織の仕業なのだろうか。だとしたら、本部に侵入できた訳だから、相当なコネクションがあると見て間違いなさそうだが…そんな大きな組織ならば、半年前でも噂ぐらいは耳にしてるはず…しかし、生憎そんな噂は聞いたことがない。俺が日本を離れた半年間で発足し、急成長したのか…いや、テロ組織がそう簡単に急成長などするはずがない。なぜなら、米国による中東の某テログループ殲滅以降、JACKALにはテロを未然に防ぐための暗殺者と監視システムが設けられたからだ。テロ組織の急成長など監視システムが見逃すはずがない。
更に一つ…なぜ、中国系のテロ組織が、長官の座を剥奪され、もはやただの一般人と成り下がった右京を米軍の輸送機ごと爆破させるようなリスクを冒す必要があったのか…。たった3日の任期で…何か恨まれるようなことでもしたのだろうか。もしくは、取引を行っていたような繋がりでもあったのか…中国系のテロ組織、イマイチ存在理由が謎だな…。
ともあれ、明日からどうしたものか…嵐はおそらくSECONDで情報を集めるだろうな…となると、こちらは別ルートで探すしかない…か。中国系…といえば、やはり中華街か…?浅はかだが、他にアテもない…観光も兼ねて行ってみるとするか。
――とりあえず、まだ約束の時間までは少しあるな…風呂でも入るか。
室内の風呂でもよかったが、それも味気ないかと思い、浴場に向かうことにした。
だだっ広い浴場は平日とあってか貸切と変わらないほど誰もいなかった。手際よく全身を洗い、サウナに入って壁面に内蔵された大型テレビでニュースを見ていた。
――やってるやってる…JACKAL本部の爆破テロ事件。最近のマスコミは嗅ぎ付けるのが早いねぇ…まぁ、あれだけの大惨事なら当然か。ん?ちょっと待て…どういうことだ…。
画面の右上に表示されているテロップを見て、俺は自分の目を疑った。
“JACKAL完全壊滅か?!
大阪・東京 連続爆破テロ 死傷者は90名以上に”
東京って…まさか銀座のSECONDのことなのか…。もしそうだとしたら、いよいよヤバイ状況になつてきたのは言うまでもない。もはや、俺と嵐だけでは手に負えぬ程、事態は悪化しているのかもしれない。やはり明日、一度銀座に行ってみるか。さすがに今の状況でこの期に及んで、嵐のヤツも別行動なんてくだらない意地を張ることはないだろう。
ひとまず、明日から気持ちを切り替えるとして…夜はこれからだ。素敵な夜を楽しむとするか…。
PM11:49
東京都中央区銀座 歌舞伎座前
銀座か…よりによって、なんでまた、こんな日本一土地代の高い場所に支部を作ったんだか…たしか中央通りを少し越えた先にあるはず…。
しばらく歩き、ビルの前に到着した俺は言葉を失った。今日の昼間に見た凄まじき爆発に包まれたJACKAL本部と何ら変わらない被害をこうむったであろう爪痕が、SECONDのビルにも鮮明に残されていた。すぐさまビル前を封鎖していた警官に聞いてみる。
「なぁ、ここのビル、何があったんだよ…?」
「爆破だよ…爆破テロ。部外者は立入禁止だ…帰った帰った。」
――爆破テロ?!…まさか、本部の犯行と同一犯か…?
とりあえず、この目の前の生意気なポリ公をどかせるとするか…前にもこんなシチュエーションがあったような、なかったような…。
「防衛省JACKAL本部、コードネームARASHI(エーアールエーエスエイチアイ)だ。中に入れてもらえないだろうか?」
どや顔で手帳のバッジを見せる。
「っ!?こ、これは失礼致しました!どうぞ!中は非常に足場が悪くなっておりますので、お気を付け下さい……またかよ。」
「ん、何か言ったか?」
「いえ、何も!どうぞ!」
やれやれ…水戸黄門の印籠ばりの効果だな…このバッジ。それにしても酷い有り様だ。床や壁がところどころ抜けており、灰と瓦礫しか見当たらない。階段で2階、3階と上に上がっても、同じような状況だった。
――ん、臭うな…ここは……
脚を踏み入れた場所はかなり広い部屋だったようだ。この臭いは遺体が燃えた時の臭いだろうか…?臭いを嗅いだだけで体が拒絶反応を示しているかのように、喉の奥から胃液が込み上げて来そうになる。
ここまで跡形もなく燃え尽きてしまっていたら、もはやどうしようもない…情報も、寝る場所も…。
――ん?!今、何か聞こえたような…上の階からか?
銃を手に取り、息を殺して慎重に階段を上がる。実行犯は現場に戻る習性があるらしいからな…何かの刑事もののドラマで言っていた。アテにしていい情報かは知らないが…。音が近付いてきた。証拠を消すのに現場を荒らしているのか?それにしても、やけに大雑把な音のたて方だ…まるで人目を気にしていないかのような…。
柱の向こうが音の発生源のようだ…柱越しでしばらく立ち止まって様子を伺うことにした。
「あっれぇ…どこにあるんだろ…たしか、管理制御室のモニター前っていったらココらへんだし…この辺にうもれてるはずなんだけどなぁ…。」
女の声…何かを探しているようだ。少し覗いてみるか…。柱から顔の横に構えた銃と共に、すーっと顔をずらして柱の奥を覗き見る。
「やっぱないじゃん…監視カメラの映像があったら犯人を割り出せたかもしれないのに…う〜ん。」
「あの…独り言の最中に悪いんだけどさ…」
「キャッ!」
女は驚き、足元の凸に足を取られて、その場で転けた。
「あ…ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど。あまりに一人でペラペラ喋ってるもんだからさ…つい。」
「いたたたた…もぉ!誰よ!?」
女は尻を摩りながら立ち上がって、俺の方を見た。変な奴かと思ったが、普通に可愛い…いや、かなり可愛かった。そのせいで俺は女の顔を見て若干、狼狽えた。なぜ狼狽えたかって?そりゃあ、“変な奴=ブス”って昔から相場は決まってるだろ…って、誰に言い訳してんだ、俺…。
「俺は…JACKAL本部の…嵐…です……。」
――オイオイ、なんで敬語なんだよ俺…落ち着け!
「え、ホント?!本部の人?どうしてこんなところに…?」
「つーか、そういうアンタこそ、何者なんだよ…。」
「あ…ごめんなさい。私は美波。ここSECONDで…って言ってももう無いに等しいんだけど…まぁ、とりあえずSECONDの交渉人よ。よろしくね、嵐ちゃん。」
ツッコミどころが多すぎて、何からツッコんだらいいか迷ったが、とりあえず一番引っ掛かった部分を指摘した。
「交渉人って…なんだよ?」
「えっ!?交渉人知らないの?!あれじゃん、犯人を説得して無条件降伏させ…」
「いやいや、そうじゃなくて…。それぐらい知ってるよ。JACKALの人間なんだろ?交渉人なんてポジション、聞いたことないぜ?」
そう、JACKALはテロリスト専門の暗殺部隊。交渉なんて猶予抜きで容赦なしにターゲットを消すのが本懐…のはずだと思うのだが。
「あーそこね。うん、たぶんSECONDだけのオリジナルのポジションじゃないかなぁ、交渉人は。私でまだ3人目だもん。」
なぜ交渉人なんかを…説得して降伏したテロリストを一体どうするんだ?警察に引き渡すのか?それじゃ、もはや暗殺部隊ではない気がするが…それに、交渉人なら警察庁にもいるだろ。訳がわからない。
「なーんか、納得いかない…って顔だね…。よーし、じゃあ、お姉さんが説明してあげる。例えば、監視システムがテロリストを洗い出したとしたら、あなた達エージェントが行って消すでしょ?でも、もし発見が遅れたり、突然に起こったテロがあったとしたら…しかも、多くの人質を取られていたら、嵐ちゃんはどうする?」
「つーか、さっきから気になってたんだけどさ…その、嵐ちゃんって止めてくんねーかな…。」
「いいじゃん!カタイこと言わないでよ。それより、人質取られてたらどうすんのさ?」
なんでコイツ、こんなに馴れ馴れしいんだ…土足でズカズカと人の部屋上がり込むかのような…。
「人質を取られていたら、人質を避けて、テロリストの頭部に一発…それでオシマ…」
俺が言い終わる前に、ブンブンと効果音が付いてもおかしくないぐらいに思いっきり首を横に振りやがった。
「嵐ちゃん、それはナンセンスだよ…テロリストは実行犯は一人で行動することもあるけど、基本はグループだから、一人を撃っても別のテロリストが人質を撃っちゃったら、どうするの?」
「そりゃまぁ…たしかに…でも、そこはなんとかなるようになるし……臨機応変ってヤツだろ…。」
「それじゃダメ、絶対。そういう時の為に私がいるって訳。エージェントと一緒に現場に行って、交渉によって人質の身柄を確保できたら、頭にバン!はい、オシマーイ♪」
そう言うと、美波はくるりと身を返し、屈んで再び足元の瓦礫を漁り始めた。サラッと暗殺者みたいなこと言ってたな…やっぱり変な奴だ…。ともあれ、爆破テロの犯人ではないようだ。何よりSECONDの人間なら、中国系テロ組織のことを知っているはず…聞いてみるか。
「なぁ、ところでさ…ちょっと聞きたいことがあ…」
「あーもう飽きた!帰る!…え?なんか言った?」
なんか調子狂うな…。
「いや、あのさ…横浜を拠点にしている割りと規模の大きな中国系テロ組織のことを聞きたいんだけど…何か知ってるか?」
美波は顎に手を添え、かなり深く考え込んでいる。まるで、ロダンの“考える人”の像のようだ。何か変なことでも聞いただろうか…。
「んーあのさ…ここじゃなんだから、ファミレスで話そうよ!」
ファ、ファミレス…高校生じゃあるまいし…なんでそうなるんだ…つーか、何を考え込んでたんだよ…。ま、たしかにこんな廃墟で長話するのも微妙といえば微妙か…。
「そ、そうだな…じゃあ、ファミレスで…。」
「私、ちょうどチョコサンデーが食べたかったんだよね!よし、行こう行こう♪」
――チョコサンデーが目的かよ!?……ったく、なんだかなぁ。