「もう…やめて…こんなこと……」
「……。」
「……嵐をどうするつもりなの?」
「…息の根を止める。」
「どうして…どうしてそこまで…」
「……復讐…だ。」
PM 10:54
京都第二日本赤十字病院
“本日の面会時間は終了致しました”
「……へ?」
完全に予想外だった…いや、忘れていた。面会時間があることを。 消灯した無人のロビーに掲げられたお知らせを見て、ポツンと一人、呆然と立ち尽くす。しかし、このまま引き下がる訳にもいかない…とりあえず、誰かに訊いてみよう。
しばらく歩き回っていると、別の棟に来ていたようだ。廊下の先にあるナースステーションはまだ明かりがついている…そりゃそうか。
「あの…すみません。今から面会って、やっぱ無理すか?」
書き物をしていた若い看護師に尋ねてみたが、当然のごとく、不審者でも見るかのような怪訝そうな目で見られた。
「……で、ですよね…出直します…。」
――ワ、ワイの完敗や。
我ながら情けなさすぎて、関西弁になった…。
突き刺さる視線に耐えられないので、ひとまずナースステーションから離れ、廊下で考える。
――とりあえず、美波も待っていることだし、今日のところは諦めて帰るか…。
来た道を戻り、エントラスのロビーに戻ってきたところで、右手の通路の先にある診察室から出てきたと思われる看護師と三角巾で腕を吊られた患者が話している。
「お大事に。本当に一人で大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました。」
――あれは……。
「オイ!綾乃…!?」
患者が驚いてこちらに振り返る……それはやはり紛れもなく、綾乃だった。
幸運なことに偶然の巡り合わせで綾乃に会えた俺は、気が付くと綾乃の元へと駆け寄っていた。
「嵐…?どうしてここに?!」
「お前が撃たれたって聞いて…そんなことより、大丈夫なのか…!?」
「え、ああ、うん…大丈夫。洗濯物を干してたら、腕をやられたくらいかな。運悪く弾が腕に残っちゃって、摘出手術に時間がかかってたの。」
「そ、そうか…え?腕だけ…?てことは、入院じゃないのか?」
「うん、今から帰るとこ。嵐こそ、爆破テロの件、大丈夫なの?でもまぁ、ちょうどよかった…片腕使えないからさ、帰るの手伝ってよ。」
――帰る…だと?! マ、マズイ…それは非常にマズイぞ…家には美波が…。
「あ、ああ…そりゃよかった。その前にちょっとだけ、あっちで世話になってる警視庁に連絡だけしてくるわ…待っててくれ。」
とにかく美波を家から離さなければ…鉢合わせになったら、とてもじゃないが弁解のしようがない。 咄嗟に警視庁への連絡と言って誤魔化せたが、問題は美波にどこへ行ってもらうかだ。俺の都合でホテルに泊まらせるのも…いや、この現状からしてやむを得まい。
「ここ病院だから、外に出てから連絡したら?怒られるよ?」
――しまった!?そうきたか…クソッ!こんなとき、どうすれば…。
「そ、それもそうだな…あ、会計は済んだのか?」
とにかく3分でいい…美波に連絡する時間を作らなければ。焦っている様子が出てなければいいのだが。京極と違ってポーカーフェイスは苦手だ。
「うん、済んだよ。もうあとは帰るだけ。……あ、ちょっと待って荷物取ってこなきゃ!」
――しめた!
一言で済ませるか。いや、でも、こちらの意図が伝わなければ、鉢合わせしてしまう可能性も…いやいや、迷ってる時間はない!とりあえず電話だ。
「もしもし…今すぐ家を出てくれ!事情はあとで話す!じゃあ!」
よし…美波の返事を聞くこともなく切ってしまったが、たぶん事態は読めたはず…そう願うしかない。
「お待たせ。今、誰に電話してたの?」
――なにぃ?! あの一瞬を見られてただと…完全に綾乃のことナメてたぜ…。
「いや、ちょっとな…京極にお前の容態ことを報告してたんだ。」
「……え?ちょ、ちょっと待ってよ。どういうこと?京極って、お姉ちゃんを撃った綾部のことよね?ちゃんと説明してよ。」
「あ、ああ…実は…本部が爆破された直後、六波羅長官が助っ人に京極を米国から呼び戻していたんだ。もちろん俺も戸惑ったし、最初は別行動にしていたんだけど…なんていうか、紆余曲折?みたいなのがあって、最終的には警視庁で繋がっちまって、爆破テロの犯人暗殺のために、とりあえず手を組んだっていうか…それと、もう一つ。お前に知らせとかなきゃいけないことがある。」
「……な、何よ?」
「……真実かどうかはわからない。ただ、爆破テロ犯が最後にこう言ったんだ。“響子が生きている”と。」
「な、何よ…それ。やめてよ…何の冗談?」
「冗談じゃない…マジなんだって。今、警視庁をはじめ、警察庁全体で全国的に目撃情報などの捜索にあたってくれている。そして、京極もだ。」
綾乃の目が怪訝そうな色から次第に激情を灯した炎のように鋭くなる。
「ちょっと待ってってば!嵐、どうしたの?そんなウソ信じるの?お姉ちゃんは死んだんだよ。遺体もこの眼でちゃんと見た…思い出すだけで寒気がするような冷たい手も冷暗所で握った。生きてる訳がない!生きてる訳…ないじゃない……。」
そんなこと、言われなくてもわかってる…。でも、どうしてみんな、そんなに事をネガティブに考えるんだよ…生きているという可能性を少しくらい信じたって構わないじゃないか。唯一の家族が生きているかもしれないっていうのに、綾乃のそのリアクションに俺はどうしても納得がいかなかった。
「どうして…お前までそんなこと言うんだよ。可能性はゼロじゃない。響子が死んだことぐらい俺だって痛いくらい分かってる。でも、そうじゃないだろ。どうして希望を持とうとしねぇんだよ!」
感情が昂って、つい怒鳴ってしまう。
「なんなのよ…嵐、アンタは何も分かってない!何も!もういい!警察でも京極でも何でも使って勝手に探せばいいじゃない!私はお姉ちゃんが生きてるなんて……絶対に信じない。」
いつになく綾乃は感情を顕にして、吐き捨てるように「信じない。」と言い放った後、そのまま荷物を持って病院を後にした。
頑なに響子の生存を信じようとしない、その裏にどんな想いが込められているのかなんて、俺には想像もつかなかった。 ともあれ、俺もここにいても仕方がない。綾乃は怒って帰ったんだ…今、俺が帰ったところで気マズイ空気は変わらないだろうし、帰る気にもなれない。
病院を出て俺は、とりあえず、綾乃…ではなく美波に連絡をした。
「もしもし?さっきは急で悪かったな。今…どこにいる?」
“もしもーし?ううん、大丈夫。今はねぇ…どこだろここ…ええっと、マルイの前を歩いてたら変なお兄さん達に声をかけられて困ってたとこ…かな(笑)”
「そ、そうか…じゃあ、今から迎えに行くから、変なお兄さん達はとりあえず、シカトしときなさい。」
“フフ…はーい♪待ってるね!”
やはり美波の、男のハートを撃ち抜く破壊力は尋常じゃないようだ…そりゃあ、あんな娘が歩いていたら、普通の男はほっとかないだろう…だから、極力外には出したくなかった。
ここから祇園なら10分ほどで行けるか…急ぐとしよう。
「お前は……」
「フ、フフフ…ヤット、ヤット逢エタ…京極!!」
「ちょ、ちょっと!京…貴方ね…浮気するならもう少し波風たたないように穏やかにしなさいよ!」
「アホか!そんなんじゃねぇよ…こいつは……」
「So、ワタシハ…京極ノ…!!」
そう言って女は両手に携えていた拳銃をいきなり発砲してきた。店内の照明が弾け、奥から恐怖の悲鳴が上がる。 急に撃たれることには半年前の経験で慣れていたため、即座に避けることができたが、こういうややこしい状況はさすがに初めてなもので、内心、少し焦っている。
「リサ、やめろ。話ならじっくり聞いてやる。だが、ここは場所が悪すぎる。」
おそらく、この状況からして、店員はもう通報を済ませている頃だろう。敏腕の警部補殿も隣には居るが、今はこの状況よりもリサのことが気になっているようで、あまり役立ちそうにない。
リサはだいぶ衰弱しているのか、元々、色白の肌が目に見て判るくらいに不健康な青白さへと変色していた。そのおかげか、集中力が続かないようで銃を乱射してくる様子はなさそうだった。
「京…この女とどういう関係なのよ…?」
(説明はあとでする…とりあえず、真希、お前は席をはずしてくれ…お前がいると余計に話がややこしくなる。)
真希は納得がいかない様子だったが、素直に引き下がってくれ、俺たちが居た席へとカツカツと戻っていった。
「京極…ワタシノコト…憶エテルノ…?」
「ああ、憶えてる…桂…エリザベス。俺の命の恩人だ。忘れるはずがない。」
7年前…俺が九死に一生を得たのは、紛れもなくこの女、エリザベスがいたおかげなのだ。
「ドウシテ…ワタシヲ捨テタノ…?」
「そうだな…あの日の話を…聞いてくれるか?」
「なぁなぁ!お姉さん、マジでカワええやん!!え、なんなん?タレントさんか何かやったりするん?とりあえず、そこにカラオケあるし、今から行こうや!」
「い、いやぁ…あの…私、彼氏と待ち合わせてるので…ムリっす。」
「えー!絶対カレシより俺らの方がオモロイってぇ!ドタキャンしーや〜!」
「お前らが俺よりオモロイのは、顔だけだろ。」
「ああっ?! お前、誰やねん!」
「コミカルなお前たちに名乗る名は持ち合わせていない。失せろ。」
チャラい若い男の一人が完全にキレて殴りかかろうとしてきたが、もう一人の若い男が引き留めた。
「…ちょ、ちょっ待て…こいつ、どっかで見たことないけ?なんかテレビで見たような…あ!爆破テロとかで指名手配されてた暗殺者や…そうや!絶対にそうやって!」
「…え、マ、マジで……。」
俺もあの件ですっかり有名人か…勘弁してほしいぜ。暗殺者なんて有名になったら商売あがったりだっつーの。 まぁ、幸いなことに頭の悪そうなガキ共は暗殺者という肩書きにビビりまくって逃げて行った。一般人に、ましてやガキ相手に手出しなどしたら、国から完全に暗殺者の資格を剥奪されていただろうし…。
「若者のお相手、お疲れさん♪凄んだ嵐ちゃんもなかなか渋くてよかったよ。」
「はいはい…それじゃ、時間も時間だし、とりあえず今日はどこかのホテルにでも…せっかく来たのに悪いな。」
「ううん、旅行で来たと思えば、ホテルは当然のことだもん…せっかくだから、ラブホとかに行ってみる?(笑)」
「ラ、ラブホ…い、いやいや!それマズイだろ。何するつもりだよ!?」
美波は動揺する俺を楽しむかのように、意地悪そうな小悪魔の笑みを浮かべるだけで何も答えない。
「…フフ……いこ?」
甘く溶けるような視線が、俺の頭の中を真っ白にする。その視線の前では何も反論できなくなる。きっとこうやって男は過ちを犯すのだろう。あれだけ衝撃的だったはずの響子の生存の事実も、綾乃との喧嘩も、何もかもどうでもよくなる…今、目の前にある誘惑に抗うよりも身を委ねてしまったほうが楽なのだから。
――嵐…どうして私の気持ち、わかってくれないの?
タクシーを拾おうと丸太町通りで一人立ち尽くす。なんて惨めなんだろう。
お姉ちゃんが生きているかもしれない…こんなに嬉しい知らせなんてないはずなのに、いつから私はこんなに卑屈な女になったのだろう。泣きたくないのに、自己嫌悪で涙が止まらない。
――お姉ちゃん、ごめん。
俯いていても仕方ない。帰ってお風呂に浸かって、リセットしよう。
顔を上げるとちょうどタイミング良く、行灯を乗せた黒のCUBEが徐行して近寄ってきた。 開いた扉に誘われるがまま、タクシーに乗り込む。
「あの…すいません。しばらく流してもらってから、三条東山の白川沿いまでお願いします。」
「……かしこまりました。」
優しさに包まれたくて、心地よいシートに身を委ねて窓の外を眺める。今日一日の疲れがどっと押し寄せてきた…目蓋が重い。
「お客さん。だいぶお疲れのようですね…少し面白い話をしてあげましょうか?」
「え…あ、いや、お気遣いは嬉しいんですけど、結構です…。」
「まぁまぁ、そう言わずに。とりあえず、これを見てくださいよぉ。」
そう言うと運転手はナビの液晶画面を何かの映像に切り替えた。
「4年前ですかねぇ…ある女アーティストが事件に巻き込まれて、デビューを目前に亡くなったそうなんですよぉ。」
――え、この話…それに、この映像は…!?
「ところが、今になって生きているってことが判ったんだってなぁ。朱雀響子っていうアーティスト…お前なら、よく知ってるよなぁ〜?」
ニヤリと笑みを浮かべながら運転手がこちらに振り返った。
「お前は…っ!!」
Trururu....
――ん?綾乃?今更何だって言うんだよ…とりあえず今はシカトしとくか。
PM 11:49
京都南インター ホテル街
「すごーい!こことかお城みたいだよね!どこにする〜?」
「いや、はしゃぐなって…恥ずかしいから。」
「いいじゃん!じゃ、ここにしよ!」
美波が選んだそのホテルは、俺の見る限りこの一画でも、ひときわデカく圧倒的な存在感を放っていた。見たことはないが、きっとベルサイユ宮殿とかもこれぐらいデカいに違いない。
「29,000円?!た、高くね?!」
「ん〜でもでも!露天風呂もサウナもマッサージチェアも付いてると思えば、安いもんだよ!ねっ?」
――ねっ?じゃねぇよ…
「J!! な…どうしてアンタがこんなところにいるのよ!死んだはずでしょ!!」
「オイオイ…死んでたらここにはいねぇだろぉ?それとも何か?俺は陽気な幽霊だとでも言いたいワケぇ?ヒャハハハハッ!!」
――右手もこんなんだし…このままじゃマズイ。
「ちなみに、この映像さぁ…リアルタイムなんだよ。生中継ってヤツ。それでは現場の響子さぁーん!なんてなぁ!」
その映像には、紛れもなくお姉ちゃんが映っていた…。
車椅子に掛けており、昔よりもだいぶ痩せている…衰弱してるのかもしれない。
4年ぶりに見る姉…しかも、不憫な姿を目の当たりにしているというのに、私の瞳からは一滴の涙も零れ落ちようとはしなかった。
――お姉ちゃん…本当に生きてたんだ。本当に…よかった……。
「で、何が目的なの…私にこんな映像見せて。」
「……そうだなぁ。ま、この映像は別にオマケなんだけどさぁ〜お前には嵐ってヤツを誘き出すエサにでもなってもらいたいんだよなぁ。」
「美波…気持ちいいか……?」
「……うん、あぁっ!そこ!あ、ダメ……もう…どうにかなっちゃいそう…」
「……じゃあ、これならどうだ?」
「ダメ!そんなにされたら、私…あぁ!!」
「てか、あとでちゃんと俺にも座らせてくれよ?」
「え?あ、ヘヘヘ…うん、いいよ。座る?」
最初は高いと思ったが、マッサージチェアが置いてあるっていうのは、なかなかいいもんだ。最近のマッサージチェアがこんなにも進化してるとは夢にも思わなかった。
美波もかなりご満悦のようだったし…なんかちょっとエロかった気もしたけど。
「ふぅ〜なんか、体ほぐれたら汗かいちゃった♪嵐ちゃん、一緒にお風呂はいろ?」
「バ、バカっ!何言ってんだよ!つーか、俺にもマッサージチェア堪能させてくれよ…」
「あ、そっか…フフ、忘れてた。」
やっぱ美波とこんなとこに来たのはマズかったんじゃないか…。
今のはなんとなく交わしたが、ただ…このままじゃ俺たち、間違いなく……だよな。
はぁ…何やってんだ、俺。綾乃は無事に帰れたのだろうか。いや、アイツは響子の生存のことを否定した…どうなろうと知ったことか。
美波はきっとその気だ…据え膳食わぬはなんとやら。
俺は…美波と……寝る!
「……なぁ、美波?」
「んー?」
なんなんですか!
その無邪気で破壊力ありすぎる無防備なリアクション!!
一瞬で理性打ち砕かれるわ!
その凶器的な笑顔!!
最終兵器彼女か!
い、いかん…落ち着け…。美波の振り向いてからの仕草があまりにも愛しすぎて、うっかり某サブカル主体の映画のネタ的なツッコミ方をしてしまった…。
「ゴホン…風呂、行こうか。」
「え……うん♪」
Trurururu....
その時、俺の携帯が何かを訴えるかのように鳴り出した。
――綾乃…?