Phantom of Diva

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チャプター15 決闘

- 決闘 -


ホテルを出て、流れ行く景色の中、色々なことを思い出し、考えた。

舞鶴 前長官が遺した「女に気を付けろ」の意味。
結局、女とは誰のことを指していたのか――この何日かで出逢った女は綾乃だけ――つまり、綾乃のことなのか。たしかに始めは俺を狙ってきた。待てよ…そもそも、綾乃は何故、俺を狙ってきたんだ?後でハッキリさせとくか。

6日前、京極と南港の埠頭に行った際、狙撃を受けたことについて。
あれは結局、なんだったんだ?あの日以来、スナイパーらしき人物からの接触はなし…まさか、あれも綾乃の仕業だったのだろうか。綾乃にあそこまでの狙撃能力があるとは思えないが…まぁ、これも要確認…っと。

国道1号線にしては珍しく、特に渋滞に巻き込まれることもなく、スムーズに京都駅ビル周辺へとやってきた俺は、ぼったくり料金設定の伊勢丹に併設した立体駐車場に入った。
カモフラージュのために――効果があるかは別として――サングラスをかけ、車を降りる。
他府県の玄関口となる主要駅なので、さすがに何らかの警戒体制が敷かれているかと予想していたが、一見したところ、特別な警戒体制が敷かれている様子はなかった。

――おかしいな。京都駅なんて、逃走手段にはうってつけの場所だろ…何か手を打っていてもおかしくはないはず…。まさか、俺が電車嫌いってこと、知ってるワケじゃねーだろうし…。

辺りを見回すが、人通りもほとんどなく、巡回中の警備員くらいしか見当たらない。取り越し苦労ということにして、屋上に向かうことにした。開けた広場から吹き抜けの、空に向かって伸びる大階段を登っていく。ホテルを出た時は晴れていた空も、いつの間にか、雲行きが怪しくなっている…ひと降りありそうだ。曇天の空が近づいてきた。腹の傷が痛むせいで、段差のある階段を登るのは時間が掛かる…階段を一段、また一段とゆっくり登る。
見え始めた景色の先には…閑散とした大空広場と南北に張り巡らされたガラス壁から覗く京都市の街並みが広がっている。階段を登りきり、広場に足を踏み入れる。
空を舞うような情景を楽しむ間もなく、カツカツと歯切れのいい革靴の足音が続々と聞こえる。物陰から現れたのは…JACKAL のエージェント達だった。

「……あーそういうことね。この静けさ、何かおかしいと思ったんだよなぁ…。」

「こちら久世(くぜ)です。午後12時53分、京都駅ビル屋上にて指名手配中のターゲット、嵐。包囲網に掛かりました……はい…はい…抹殺ですね…了解しました。」

銃を携えた8人のエージェント達の一人が電話で誰かとやり取りをしている。抹殺…という言葉が聞こえたが、空耳であればと思う。それはさておき、エージェント達は放射線状に俺を取り囲んでおり、逃げようがない状況だった…おそらく、抹殺って言うくらいだから、俺が銃を手にした瞬間、先に撃たれるのは間違いないだろう…。

――参ったな。電話で焦って駅ビル集合とか言うんじゃなかったな……京極、まだ来ねぇよな。京極が来れば、少しは起死回生のチャンスが…どうだろ…ないか。ま、なるようになれってか…。

覚悟を決め、静かに瞳を閉じた。エージェント達が銃を構え、安全装置を解除する音が聞こえる。

…ドサッ

2時の方向にいたエージェントの一人が額を撃ち抜かれて倒れた。

――京極か…?

エージェント達は一斉に俺以外の方へと注意を削がざるを得ない状況となった。こいつは絶好のチャンス…すかさず銃を取り出して一番近くにいたエージェントの胸を撃ち抜きつつ、物陰へと走り出す。
包囲網のテリトリー内から俺を取り逃がしたことに気付いた久世は、5名のエージェント達に指示を与え、再び俺に意識を向けて銃を構えさせた。柱の陰に屈み込み、呼吸を整え、エージェント達の様子を伺っていると、背後に人の気配を感じた。

――しまっ…

カチャ――振り向いた俺の額に、ひんやりとした銃口が軽く押し当てられる。

「……お前、俺の背後取るの、何気に上手いよな…。」

銃を構えて立っていたのは、浮かない表情の綾乃だった…いや、浮かないというよりは殺気立っている感じがした。

「話をする前に、彼らを片付けないといけないみたいね…。」

昨日見せた穏やかな表情はどこにもなかった。この危機的不利な状況がそうさせているのか…心にシコリを残しつつも、気持ちを入れ換え、現状を打破する方法を考えることにした。そんな俺を他所に、綾乃は他に言葉を発することもなく、そのまま柱の陰から出て、エージェント達に向かって発泡し始めた。

「なるほど、やっぱそれが一番手っ取り早いってか…。」

綾乃に遅れを取るまいと、俺も立ち上がり広場に向かって駆け出す。腹部の傷が開いて血液が滲み出すのを感じつつも、痛みを凌駕するアドレナリンの作用により、どこかハイな気分になり始めた。

……落ち着きを取り戻した時には、久世を含め、エージェント達は全員、地に伏せていた。同じ組織の人間とはいえ、顔見知りでもないから特にシンパシーを感じることもなく、こちらも命懸けだったということもあり、仕方がないといえばそれまでなのだが…とはいえ、職務を全うしただけの人間を手に掛けなければならなかったことに、今頃になっていたたまれない気持ちに苛まれる。ともあれ、綾乃の援護もあって、俺達はほぼ無傷だった。

「なんか…切ないな。こいつらが悪い訳じゃねぇのに…。でもさ、俺たち、結構いいコンビネーションだったよな。」

後味の悪さを圧し殺して、おどけてみる。しかし、俺の話を遮るかのように、綾乃はゆっくりと背を向けて歩き始めた。

「言っとくけど…私とアンタは仲間じゃないの。私にとってはアンタは標的で、アンタにとって私は自分の命を狙ってくる暗殺者を装った刑事なのよ。そこのところ、忘れないで…。」

10mほど離れた地点で、綾乃は背中を向けたまま俯き、吐き捨てるように呟いた。
この明からさまに拒否するような態度…やはり様子がおかしい。昨夜まで手を伸ばせばいつでも触れられるほどだった距離は、今ではどれだけ追いかけても近付くことのできない夜空の月のように遠く、手が届かなくなっていた。

「……そうかい。で、話って…なんだよ。」

綾乃は黙ったまま、答えようとはしない。足早に流れていく雲の音と、屋上ならではの冷気を纏った強い風の音だけが二人の無言の時間を繋いでいく。

――どうしたっていうんだよ。

綾乃の様子からして、まだしばらくは口を開きそうになかったので、仕方なく楔を切った。

「話さないなら、俺から先に聞かせてもらおうか。綾乃…お前、刑事で、しかも麻薬捜査の人間なんだよな?どうして初めて会った時、俺を狙ってたんだよ?」

「……。」

綾乃はまだ俯いて黙り込んでいる。そして、顔を上げた次に綾乃がとった行動に、俺は動揺を隠さざるを得なくなった。

「聞きたいことがあるの…。」

初めて会ったあの時と同じように、綾乃は銃をこちらに向けて構え、苦しさを滲ませながら目を細めて言った。

「…な、なんだよ…聞きたいことって…まさか、お前まで俺を疑いだしたのか…?」

「…違う……そんなんじゃない。私にとって、もっと大切なこと…。嵐…アンタ、前に、響子とは付き合ってたって言ったよね?」

「…え、あ、ああ…そうだな。」

“響子”という名前を聞いて、急に胸が苦しくなってきた。

「私の姿を見て、何か思うことがあったんじゃない?」

もうすっかり冬らしい気温の低さだというのに、俺のこめかみを一筋の汗が伝う。綾乃は響子に繋がる何かを俺に明かそうとしている。

「……ああ、響子に瓜二つだと思ってたよ…。」

「…やっぱりね。私のこと、初めて見た時、嵐はすごく動揺してた。ねぇ、教えて…響子はどうして死んだの…?」

響子の死んだ理由…3年前の悲劇が脳裏を過る。響子はやはり死んだのか?綾乃は響子じゃないのか?思い出そうとすると、その記憶を引き出すのを拒絶するかのように頭が締め付けられる感覚に陥る。深い闇の中でひときわ燃え盛る猛火の向こうに、響子の姿がちらつく。見えそうで見えない…近寄りたくても近付けない。

「響子が死んだのは…お、俺のせいだ…。」

綾乃の苦しそうな表情がさらに険しくなる。

「……アンタが…殺したんでしょ…?」

――もう、やめてくれ…響子を殺したのは俺なのか…。俺が殺したのも同然なのかもしれない…。俺がペドロの暗殺にミスらなければ、あんなことには…。

「……俺が…俺が殺したのかもしれない…でも、違うんだ!聞いてくれ…」

「もういい!何も聞きたくない!誰も信じない!嵐…やっぱり私はアンタを撃たなきゃならない。」

響子の死んだ理由なんて、考えたこともなかった。響子は俺をかばって、この世を去った…それは事実。響子を巻き込み、守りきれなかった…全て俺の責任だ。俺の未熟さが生んだ悲運。

「……わかった。何か理由があるんだな…でも、最期に一つだけ教えてくれ。綾乃…お前は一体、誰なんだ。」

綾乃に初めて会った日から、きっと心のどこかで、いつかこんな日が来るような気がしていた。綾乃に撃たれるなら、もはや何も悔いもなかった。この身を焦がしても尚、燃え盛る猛火に焼かれ続ける苦しみから解放されるならば、俺はそれでいい…。

「私は…綾乃……朱雀綾乃。響子は私のお姉ちゃん…。早くに両親を亡くした私にとってはかけがえのない家族だった。」

言葉が出なかった…。響子に妹……。

「そ、そんな…綾乃が響子の妹……でも、その顔…双子なのか…?」

「違う…響子を殺したヤツへの断罪のために、私は響子と同じ顔に整形したの…。そう、犯人…ていうかアンタが私の顔を見るたび、過去の罪の意識に苛まれ、私は鏡で自分の顔を見るたび、響子が死んだときの哀しみと復讐心を忘れないようにするために。もう…今となっては、本当の自分の顔も思い出せない……。」

響子と同じ顔に整形…復讐の為だけに。そんな綾乃の常軌を逸した深い心の闇に、心底、身震いがした。もはや、俺に償う術など思い浮かばなかった…死んで地獄の業火に焼かれても生温い。綾乃の壮絶な決意と容赦なき復讐心を考えただけで、喉の奥が毒でも飲んだかのような激痛と苦しみが溢れ、嗚咽しそうになる…。喉の奥からこみ上げるものを飲み込み、かろうじて立ってはいたが、首に巻いたロープで吊るされることで、無理やり立たされているような気分だった。
俺は綾乃に告げる最期の言葉を口にした。

「本当にすまない…撃て…撃ってくれ。それで綾乃の気が済むなら、俺はお前と響子の為に死ぬ。綾乃…俺を殺してくれ!俺にはもうどうすることもできない。やっぱり、響子が死んだ時点で、俺は生きていることさえ許されるべきじゃなかったんだ…さあ、撃てっ!」

――いいね いいねぇ…泣かせるねぇ…あの嵐の表情。ドラマティックな展開ぢゃないのぉ。こりゃ右京が描いたシナリオ以上だな…まさか、あんな手作り写真がこんなにも効果的なんてよ…ウケるぜ。クックックッ…

「なんでそうなのよ!!……本当に…本当に撃つわよ。なんの抵抗も弁解もなしにアンタ、それでいいワケ…?!」

表情を歪め、綾乃は撃つことに躊躇している。もはや生きている意味なんてない俺に、そんな慈悲はいらない。裁きを下し、ひと思いに殺してくれ…。

「どうしたんだよ…頼む…殺してくれ……これ以上、お前を苦しめたくないんだ…。そりゃあ…お前ともっと一緒にいたかったけど……。でもさ、短い間だったけど、綾乃に逢えてよかった…ありがとう。愛してる。」

静かに水滴が俺の頬を掠めた。涙…?いや、曇天の空はとうとうキャパオーバーしたのか、俺達の悲運を悼む涙を流すかのように、しとしとと雨を降らせ始めた。そんな雨に紛れて、綾乃の瞳からも大粒の滴が零れる。

「……なんでよ…反論してよ…。そんな……撃てないよ…ごめん、お姉ちゃん…私……」

銃を握り締めたまま、膝から崩れ落ちるように綾乃はその場にへたり込んだ。絶えず流れ落ちる涙とは対照的に、様々な想いが絡まり合って錯乱しているのか、焦点が合っておらず、限りなく無表情だった。

――おいおぉい…そこは撃たなきゃダメだろぉ〜綾乃ちゃぁん。せっかく雨まで降って盛り上がりも最高潮になるところなのによぉ!やっぱオンナは駒にしちゃダメかぁ…よっこらせっと。ん…あれ…は……。

「……綾乃。聞いてくれ…3年前のあの日、俺達は……

「お話中、悪いな…その話、俺も混ぜてくれよ。」

声がした階段の方からゆっくりと姿を現したのは、上半身を包帯に巻かれた上からジャケットを羽織った手負いの様子の京極だった。

「きょ、京極…来てもらったのに悪いんだけどさ。ちょっと今、大事な話なんだよ、マジで。ほら、俺の3年前の事件の…」

京極がいても問題はなかったのだが、どうしても響子のことは、綾乃と二人でキッチリとケジメをつけておきたかった。死ぬ覚悟はできている。ただ、こんな俺でも綾乃は“撃てない”と言ってくれた。それなら、その想いに応えるしか…

「…あ?お前、人をここに呼びつけておいて、なんだその態度は。つーかよ、俺は“京極”なんてシケた名前じゃねぇ。」

「……え?何言ってんだよ、京極じゃないって…ワケわかんねぇ冗談やめろよ。空気読めって。」

綾乃は現れた京極に反応することなく、変わらず雨に濡れた地面を見つめたままだ。京極だけど京極じゃないヤツが現れたせいで、ますます話がややこしくなりそうな気がした。

「嵐ぃ。月並みな台詞だが、冥土の土産に教えてやるよ。俺の名前は綾部 涼介。ちなみに、京極って名前、知らないワケじゃねぇんだよ。京極も一応、俺だからな…。」

名乗り終えるのと同時に、綾部は右手に持っていた日本刀で振りかぶって切りつけてきた。京極じゃないと判った時点で、予め警戒しながら話を聞いていたので、寸でのところで交わすことができたが、今の斬撃を食らっていれば、恐らく即死していたかもしれない…そう思わせるほどの殺気と威力だった。
しかし、“綾部 涼介”という名前…どこかで聞いたような……。

――あーあ、めんどくさいヤツが来ちゃったなぁ。アイツが混ざるとドラマティックな要素ゼロだもんなぁ。このまま傍観するか、サクッとあのヘタレ侍を撃ち殺すか…いや、右京に怒られるな。はぁ…もうしばらく観戦しときますかぁ。

「なんだよそれ!どっちだよ!もっと解るように説明しろよ!で!どうして俺を殺そうとするワケ?なんか恨みでも買ってましたっけ?」

「……あ、綾部…?」

綾乃がようやく正気を取り戻したのか、まだ立ち上がれてはいないものの、瞳をまあるくして、京極…いや、綾部の方を見ている。

「ん?あれ…お前……どっかで見たような…ま、どうでもいいか。今、取り込み中なんだよ…後で犯してやるから、ちょっと待ってな。」

姿形とは違い、綾部の発する言葉には品がなく、大人びた“京極らしさ”は微塵も感じられなかった。一体どうなってるんだ…あの様子からして、同一人物であることは考えにくいが、さっき綾部が言った“京極も一応、俺だから”っていうのは……まさか二重人格とかじゃないよな。

「フェローシャス・トラフィッカー(凶暴な密売人)…綾部 涼介……アンタだったのね。やっと見つけた…。」

綾乃の反応で思い出した。綾部 涼介…NYで警官を急襲して薬物を強奪する強硬かつ残忍な麻薬密売人……てことは、綾乃が JACKAL の潜入捜査で探していた男は、京極かもしれないっていうのか…?

「……密売人?何の話だよ。俺は一時、記憶を失くしてたもんでな…クスリなんて打ったことも、売ったこともねぇよ。知りたきゃ、もう一人の俺に聞いてみな…もういねぇがな!」

記憶を失くして…てことは、記憶喪失になった綾部が、京極だったってことか…?だが、そうなると、京極が麻薬王ってことになる…俺といる時はそんな様子はなかった気がするが…。

「と、とにかく…アンタが誰であれ、私はアンタをNYに連れて帰る…。」

よろよろと、全身から抜け出たチカラを懸命にたぐい寄せ、立ち上がろうとする綾乃。そんな情緒不安定な状態で、綾部を逮捕しようというのか…。

「おい、嵐。お前、ちょっとそのまま待ってろ。先にこの女の相手をすることにした。」

――だから、なんで麻薬密売人が俺に用があるんだよ。

綾部の言葉を聞き終える前に、綾部の姿が俺の視界から消えた。次の瞬間、低い悲鳴のようなうめきが聞こえた。綾乃の方に視線を移すと、前傾姿勢の綾部の肩越しに、苦痛に歪む綾乃の顔が見えた。

「綾乃っ!!」

綾乃の足元に、ポタポタと血が滴り落ちている。綾部の日本刀が、綾乃の脇腹を貫通しており、刀伝いに血が滴っていた。

正直、さっきまでは京極の姿である綾部に銃を向けることができなかった。が、綾乃が刺されたことによって、俺は咄嗟に銃を構え、綾部に向けてトリガーを引いた。

カチッ――

まさかの弾切れ…。
ここに来てエージェント相手に全弾を使いきっていたようだ。
弾倉をリジェクトし、新たな弾倉に手を伸ばしている途中で、ようやく気が付いた…綾乃に刃物を突き刺したまま、こちらを見て、ニヤニヤと悪魔のような笑みを浮かべている綾部に。綾乃は今にも消えそうな意識のせいで虚ろな表情をしている。

「運が悪かったな、嵐。3年前のオトシマエだ…死ねっ!!」

脇腹から刀を抜き取り、綾乃が倒れゆくのと同時進行で、物凄い速さで綾部はこちらに駆けて来た。

――弾倉を装填する間はない…とりあえず……

刀を振りかぶった綾部に、俺はなんとか銃身で防御しようと持ち方を変えた瞬間…鋭い金属音が響き渡った。綾部の日本刀が柄の部分から離れていくようにポッキリと刀身が折れ、地面に落ちた。
俺は何が起きたのか理解するよりも先に、すかさずフリーだった左手で綾部の頬を力の限りブン殴った。

――あーあ。やっちゃった。でもまぁ、みんなの標的、嵐ちゃんが、あんなヤツにあんなカタチで殺されるのは面白くないし、そんな展開は俺の美学に反するんだよねぇ。とりあえず、嵐ちゃんに貸しイチ…っと。

「……んのヤロォ。どこのボケが俺の黒弄を折りやがったんだ、チクショウ。」

綾部は独り言のようにぶつぶつとかすれた声で呟いている。

「まぁいい。嵐、テメェなんか素手でも殺せる…今の一発、十倍にして返してやる。オラ、来いよ。」

ボクサーのような軽快なステップを踏みながら、片手をくいくいっと俺に向かって差し出している。何も素直にこのキ●ガイ野郎の誘いに乗ることはない。出血量から見て、綾乃の容態も決して楽観できるものではなかった。綾部をさっさとこの場で撃ち殺すことも出来そうだが…どうしても、そんな卑怯なマネはしたくなかった。相手は京極でもあるのだから、そう簡単に殺す訳にもいかない…それに何よりも、久しく感じたことのなかった、体の奥底から燃え上がる情熱っぽい何かを俺は感じていた。
しかし、少し気になったのが、綾部はさっき“3年前の落とし前”…と言った。3年前といえば、俺には響子のことしか思い浮かばなかった…が、とりあえず、吐かせることにした。

「3年前の落とし前ってなんだよ…あとでたっぷり聞かせてもらうからな。それより、俺に素手で喧嘩を売ったこと、泣くほど後悔させてやるぜ。」

綾部は切れた唇の端を親指でグリグリと擦ってから、口角をほんの少しつり上げた。

「……望むところだ。」

気のせいか、今の口調と表情は、俺の知っている京極に近かったような気がした…。

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